【葵祭2017】主役の斎王代はどうやって選ばれる?場所や日程は?
- 2017/2/16
- お祭り、行事
“京都3大祭り”の一つといわれる『葵祭(あおいまつり)』は、元来『賀茂別雷神社(かもわけいかずちじんじゃ):上賀茂神社』と『賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ):下鴨神社』が、毎年5月15日に執り行う『例祭』です。
この祭りは、平安時代頃は『賀茂祭(かもまつり)』又は『北の祭り』と呼ばれていて、平安貴族の間で祭りといえば『葵祭』を指していました。
葵祭ってどんなお祭り?歴史と概要
葵祭と呼ばれるようになったのは、江戸時代(元禄7年)になって祭りが再興され際、内裏宸殿(だいりしんでん)の御簾(みす)を始め、御所車、勅使、供奉者の衣装や冠など、あらゆるものが“葵(ふたばあおい)』の葉”で飾られたことに由来しています。
この祭りは、平安時代以降は国家的な行事として行われてきた歴史があり、現存の祭りの中では数少ない『王朝風俗』の伝統が承継されたものです。
葵祭で最も人気を集めるのが主役の『斎王代』ですが、その名が示す通り『斎王』に代わって代理を務める者ことです。
斎王とは『斎皇女(いつきのひめみこ)』ともいい、下鴨神社に奉仕する“王家の未婚の皇女又は王女”のことをいいます。
斎王の住まいである『賀茂の斎院』は、現在の京都市上京区辺りに在ったとのことですが、葵祭の際には勅使の行列に合流し下鴨神社に向かったといわれています。
主役は斎王代!どうやって選ばれるの?大金が必要って本当?
さて、『斎王代』の希望者は、残念なことに『一般公募』はされていません。
その理由の第1は“多額の費用が掛かる”こと、第2は“由緒正しい家柄の20代の子女”であることです。
因みに、これまでの例によると京都所縁(ゆかり)の寺社、文化人、実業家などの令嬢が選出されているようですが、噂によると『十二単』の衣裳代だけでも“サラリーマン10人分の年収くらい”するとのことです。
葵祭2017の場所や日程情報
出典:https://www.kyokanko.or.jp/aoi/junkou.html
葵祭の日程は、2017年(平成29年)5月15日(月)に行われますが、当日雨天の場合は翌16日(火)に順延されます。
出発時間と経路は、以下の通りです。
(1)京都御所(宜秋門)出発:10時30分 (2)観覧席通過~京都御所(堺町御門)~丸太町通~:10時50分 (3)~河原町通~出町橋:11時15分 (4)~下鴨神社到着:11時40分 (5)下鴨神社出発:14時20分 (6)~下鴨本通~上賀茂神社到着:15時30分 |
葵祭りの見どころと楽しみ方
葵祭の祭儀は、『宮中の儀』、『路頭の儀』、『社頭の儀』の3つで構成されていますが、現在は宮中の儀は行われていません。
祭りの見どころは、葵の花を随所に飾った“平安貴族の装束”による行列(路頭の儀)です。
勅使(ちょくし)を始めとして、検非違使(けびいし)、内蔵使(くらづかい)、山城使(やましろづかい)、斎王代(さいおうだい)など総勢500名余、その他馬36頭、牛4頭、牛車2基、神輿1台を連ねて京都御所を出発し、京都北山の峰々を眺望しながら約8km先の下鴨神社を経て上賀茂神社へ向かいます。
社頭の儀は、上賀茂及び下鴨神社に到着した際に社頭で行われる儀式のことですが、勅使が“御祭文を奏上し御幣物を奉納する”ものです。
更に、平安当時を偲ばせるような雰囲気の中、“神馬の引き回し”や“舞人のあずまあそびの舞”が奉納されます。
因みに、下鴨神社の全域は1994年(平成6年)に『世界遺産』に登録されていますが、その境内に『糺の森(ただすのもり)』といわれる広大な原生林が広がっていて、その面積は凡そ124,000m2(東京ドーム3個分)あります。
5月3日に葵祭の前儀として、糺の森の一角で『流鏑馬神事(やぶさめしんじ)』が執り行われます。
この神事は、明治時代に入ってから暫く中断されていましたが、1974年(昭和58年)から再開されるようになったものです。
全長500mの馬場を『公家』と『武家』の両装束(しょうぞく)の射手たちが、馬上から3つの的を射抜き糺の森を祓い清めます。
むすび
京都では、5月には賀茂神社祭礼の『葵祭』、7月には八坂神社(祇園社)祭礼の『祇園祭』、10月には平安神宮創建記念の『時代祭』の『京都三大祭り』と称される祭りがあります。
何れの祭りも“神道系のお祭り”ですが、夫々“成立した時期”、“生まれた背景や事情”、“行事の内容”などが大きく異なっており、日本の祭り文化の象徴的な3つのタイプを顕しています。