地域によって夏至の食べ物は違うの?関東、関西、四国の異なる風習とは?
- 2017/3/22
- フード
『夏至』は季節の変わり目を表す二十四節気の一つであり、1番初めの『立春』から数えて“10番目の節気”に当たります。
『二十四節気』というのは、紀元前400年頃の中国において『大陰暦(旧暦)』よって生ずる“季節のズレを補正する”ために考案されたものです。
即ち、1年を春夏秋冬の“4つの季節”に区分し、“12の中気”と“12の節気”に分け夫々に名前を付けた訳です。
日本で二十四節気が取り入れられたのは江戸時代の中期頃といわれていますが、元来“中国の気候を基にした”ものなので日本の気候とは必ずしも一致しない時季や名称があります。
そのため日本では二十四節気の他に独自に『土用』や『入梅』といった9つの『雑節(ざつせつ)』を加え、より日本の季節の変わり目に馴染むように工夫しています。
因みに、太陽暦は“地球の周期を基準”としたものなので1年は365.24日となり、4年に1度『閏年(うるうどし)』を設けて1年の日数を補正しています。
一方、大陰暦は“月の周期を基準”としたもので1年は354日となり、17年に9回の『閏月(うるうづき)』を設けて1年の日数を補正しています。
夏至って、どんな日?
二十四節気でいう『夏至』は、“太陽の黄経が90度に達した時”をいいます。
詰まり、春分は同じく0度、秋分は同じく180度、冬至は同じく270度に達した時のことです。
因みに、夏至は毎年6月21日頃に到来しますが、地球の北半球において“1年で最も昼の時間が長い日”であることを意味します。
但し、夏至というのは太陽が北回帰線の真上に“到達した瞬間”をいうので、今年(2017年)の6月21日は『夏至の日』ということになります。
なお、1つの節気の期間は約2週間ありますので、正しくは6月21日から7月6日(小暑の前日)までの間が、二十四節気でいう夏至ということになります。
夏至には、各地では何を食べるの?
日本の夏至は、丁度入梅の時期に当たります。
そのため農耕民族の日本では、田植えで忙しい時季なので“夏至を祝う風習”は余り多くはないように思われます。
しかし、『夏至の日』から11日も過ぎ田植えが終わりを迎える『半夏生(はんげしょう)』の頃になると、各地では美味しいものを食べることや、色々な行事を行うなどの風習があったようです。
(1)関西地方
夏至から半夏生までの間に、稲の根に擬(なぞら)えて脚が8本ある『蛸(タコ)』を食べる風習があります。
なお、京都では無病息災を願い『水無月(みなづき)』という菓子を食べる風習があり、奈良では小麦粉ともち米を混ぜてついた『半夏生餅』という、きなこ餅を食べる風習があります。
(2)関東地方
新小麦を使って餅を作り、粘り強い餅に擬え農作物の豊穣を祈願して、焼餅にして神に供える風習があります。
(3)北陸地方
福井では、田植えの終わりには地元名産の『焼き鯖』と焼酎で一杯会が行われます。
(4)四国地方
高松では夏至に『うどん』を食べる風習があるそうです。
因みに、お隣の讃岐では“1年中うどん”で盛り上がっています。
(5)東海地方
愛知では『無花果(いちじく)田楽』を食べるそうです。
ちょっとイメージが湧きませんが、八丁味噌で有名なご当地ですから、きっと美味しいに違いありません。
なお、三重では『ミョウガ』を食べる風習があるそうです。
食べ物以外の各地の夏至の風習は?
田植えが終わる夏至の終盤の『半夏生』の頃は、日本各地に食べ物に纏わる面白い風習があるようですが、食べ物以外の各地の風習には一体どんなものがあるのでしょうか。
(1)三重県の伊勢地方
伊勢地方の二見興玉神社に『夏至祭』が伝わっています。
この祭りは伊勢神社をお参りする人たちが、“汐を浴びて禊(みそぎ)をする”ものです。
二見が浦の『夫婦岩』に昇る朝日を浴びながら禊の行事を行うものです。
(2)長野県の佐久地方
この地方では“半夏ニンジン、苗代ゴボウ”といって、夏至の頃にニンジンやゴボウの種を播く風習が残っています。
(3)大阪府の南河内地方や奈良県の香芝地区
この辺りでは田植えが終わった頃に“はんげっしょ”とい小麦を混ぜた『きなこ餅』を作り、神様にお供えして農作業の無事を終えたことを感謝する風習が残っています。
(4)群馬県の一地方
夏至の間は、『ネギ畑』に入ることを禁忌としている風習があるそうです。
(5)三重県の熊野や志摩地方
夏至の終わり頃には“ハンゲという妖怪”が徘徊するので、この時期に農作業を行うことを戒める言い伝えが残っているそうです。
むすび
所変われば何とやらで、余り広くない日本の中でも色々な風習があるものです。
それにしても、日本には『二十四節気』、『雑節』、『節句』と様々な暮らしに根付いた知恵や知識の伝承がありますが、時代と共に徐々に忘れ去られていきます。
これから先も残していける良い手立てはないものでしょうか。